名古屋妊婦切り裂き殺人事件
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事件概要
1988年(昭和63年)3月18日に愛知県名古屋市中川区のアパートで発生した妊婦殺害事件。
事件の流れ
1988年(昭和63年)3月18日、愛知県名古屋市中川区のアパートに会社員の男性が帰宅。
男性が着替えをしている最中に赤ちゃんの泣き声の様な音が聞こえる。
妻が臨月の妊婦であり、自力で出産したのかと泣き声の方へ確認しに行く。
室内で、妻が殺されており、出産したであろう子供へその緒をつけたままが泣き叫んでいるのを発見した。
↑この時点で妻の意識はなく呼吸もしていなかった。
夫である男性が救急に電話をかけようとするも電話が消えていたため階下の部屋の住人に電話を借り通報した。
遺体の状況と胎児の状況
妻は両手を縛り上げられて固定されており、さらに首に電気コードを巻かれ、絞殺されていた。
また刃物で、みぞおちから下腹部にかけて縦38㎝にわたって切り裂かれていた。
犯人は妊婦を絞殺後、腹部を切り裂き胎児を生きたまま取り出してへその緒を刃物で切断し、子宮に無くなっていた電話と、ミッキーマウスのキーホルダーがついた車のキーを入れた後、財布を奪って逃走したとされる。
絞殺の凶器は別の物であった。
死後に首をコンセントが刺さっていた状態の電気コタツのコードが巻かれていた。
死んだ妻の足元に、赤ん坊がへその緒をつけたまま泣き叫んでいた。
取り出された胎児は男の子で、太ももの裏、ひざの裏、睾丸の3箇所を刃物で切りつけられていた。
また低体温で貧血を起こしており、チアノーゼ症状も出ていたが病院で約1時間の手術を受け一命を取り留めた。
事件があったとされる愛知県名古屋市中川区のアパート。
事件があったとされる愛知県名古屋市中川区のアパート周辺。
容疑のかかった人物等
夫への容疑説
警察は当初、被疑者を夫として捜査していた。
理由↓
帰宅後に家の異変に気付きながらも妻の存在を確かめずに着替えをしていたこと。
報道陣の前で、「妻はワインが好きだったので、ワインを注がせてください。」と言い、グラスにワインを注ぎ、霊前に供えた(冷静で落ち着き過ぎていたためパフォーマンスと考えられた)こと。
しかし、妻の死亡推定時刻であった時間には、会社で勤務していたため、アリバイが成立している。
サイドビジネスがらみの怨恨殺人説
夫婦がサイドビジネスとして家庭で某ア〇ウェイの商品を販売していたことから、警察は「サイドビジネスがらみの怨恨殺人」と睨み捜査していったが具体的な手がかりは得られなかった。
不審人物説
階下の居住者が、「午後3時10分から20分までの間に、不審な男がアパートをうろついていた」と証言。
ドアのノブがガチャガチャ回っている音が聞こえた後、チャイムが鳴ったので出てみると、身長165センチほどの30代らしきスーツを着た男性が、「ナカムラさんを知りませんか?」と聞いてきた。居住者は「知らない」と言ってすぐにドアを閉めた。
目撃証言は他にもあり、駅から、アパートやマンションを訪ねまわっている姿が何人もの人間に目撃されていた。
後にアパートと近所の住人から、不審人物の証言を得たほか、事件当日にアパート付近を通った通行人400人以上の人間をしらみつぶしに確認したが「不審人物の行方は分からなかった」と警察は発表した。
医療関係者説
腹部が38cmにわたり切り裂かれてへその緒も切ってあるため、医療の知識を持つ医療関係者の線も疑われた。
しかし傷を調べたところ帝王切開とは違い過ぎていた。通常は縫合が容易で傷の治りも良い形として腹を横に切り、何らかの理由で縦に切る必要がある場合は臍の直下から下向きに切る。
しかし被害者の傷を調べた所下から上へ、逆向きに切られており、傷そのものも帝王切開と比べて大き過ぎた。
そのため医療関係者が犯人の可能性は否定された。
判決
結局有効な手がかりがないまま2003年(平成15年)3月18日に公訴時効が成立し、未解決事件となった。
あとがき
この猟奇的な殺人事件被害家族である夫と子供は世間から世間の好奇の目にさらされ続け、1999年(平成11年)に日本国外に移住した。